03_「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」(2023)
概要
名称:「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」
活動日時:2023年7月1日(土)〜9月10日(日)の随時
活動場所:富士山の登拝・遥拝が可能な各所
参加者: 青木遼、大平由香理、川合南菜子、金子富之、金子朋樹、菊地匠、小金沢智、杉本克哉、春原直人、多田さやか、田中みずき、土田翔、⻑沢明、中村ケンゴ、西澤諭志、林勇気、ベリーマキコ、間島秀徳、三瀬夏之介、山下和也(ちやのある Le Cha noir)、山本雄教、吉江淳(五十音順、合計22名)
グラフィックデザイナー:丸山晶崇(株式会社と)
主催:パラレルモダンワークショップ(Parallel Modern Workshop)
名称:「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」
活動日時:2023年7月1日(土)〜9月10日(日)の随時
活動場所:富士山の登拝・遥拝が可能な各所
参加者: 青木遼、大平由香理、川合南菜子、金子富之、金子朋樹、菊地匠、小金沢智、杉本克哉、春原直人、多田さやか、田中みずき、土田翔、⻑沢明、中村ケンゴ、西澤諭志、林勇気、ベリーマキコ、間島秀徳、三瀬夏之介、山下和也(ちやのある Le Cha noir)、山本雄教、吉江淳(五十音順、合計22名)
グラフィックデザイナー:丸山晶崇(株式会社と)
主催:パラレルモダンワークショップ(Parallel Modern Workshop)
コンセプト
ここに一枚の写真がある。繪畫研究會印刷工藝社が発行した写真集『富士寫眞帖』(1929年7月)に収録されたもので、「(富士頂上)淺間神社奥宮」とキャプションが付せられている。縦13センチ、横19センチのハンディな本書は、撮影者は不詳であるものの、「最新撮影」と表紙に銘打たれ、富士山を遠景から捉える写真のほか、頂上からの御来光や噴火口、湧き水の金明水・銀明水をはじめとする登頂までのスポットを撮った合計16枚の写真が収めている。いずれの写真のキャプションにも、「(FUJI)FAMOUS PLACES AND FINE PROSPEKTS」と英語で書かれていることから、外国人旅行者の需要も見込んだお土産物として作られたものなのだろう。淺間神社の鳥居に日章旗が交差して掲げられていること、またその隣の木碑に「官幣大社淺間神社奥宮」と書かれていることが時勢を感じさせる。
さて、2013年6月26日、第37回ユネスコ世界遺産委員会で富士山が世界遺産に登録されてから今年で10年が経つ。「Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration」(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)と登録されているように、その価値の観点は「信仰の対象」と「芸術の源泉」の二点。近代化以降、良きにつけ悪しきにつけ日本の象徴としての役割を負わされ続けてきた富士山は、いまや一国のナショナリズムを超えて、世界の文化遺産としてその存在を国際的に認知されるに至った。
とはいえ、表象としての富士山は全面的に肯定できるものばかりではない。特に、アジア・太平洋戦争下で画家や写真家によってつくられた国体の象徴としての富士山のイメージが、国威発揚のプロパガンダとしての側面を担っていたことは否めない。
では、当時の写真家や画家たちは、富士山というモチーフとどのように向かい合っていたのだろうか? 富士山を、眺望する、仰ぎ見る、実際に登る。画家であれば、実際の富士山を見ずとも、古来描かれてきたさまざまな図像から新たなイメージを作り出すこともあったかもしれない。そうして、自然物として唯一無二の富士山は、人の手によってさまざまなメディアの図像として作り直され、さらにそれらは印刷物やデジタルメディアによって複製され、流通している。
富士山を生涯で1,500点以上描いたと言われ、近代絵画における富士山のイメージの構築に貢献した日本画家の横山大観(1868-1958)は、ついに富士山に登ることはなかった。彼は、「富士の写真家」としてその名を知られる岡田紅陽(1895-1972)の写真を参考にすることもあったという(岡田は、日本紙幣・千円札の裏面に印刷されている富士山の撮影者である)。もちろん、絵画は実際に登らなければ描くことができない、というものではない。一方で、こう想像してみたい。もし、横山大観が富士山に登っていたら。横山大観による数々の富士山が、実際の体験に基づいて描かれたとしたら。いま、私たちの富士山の絵画をめぐるイメージは、異なるものになっていただろうか?
このたび、パラレルモダンワークショップは、二手に分かれて富士山を見つめる。あるものは「登拝」と呼ばれる実際の富士山登山を通し、あるものは「遥拝」と呼ばれる遠方から富士山を見つめる(拝む)行為を通して、自身と富士山との距離をはかる。そして、その体験をもとに同一フォーマットの絵葉書を制作し、(明治時代に開始された)郵便制度を用いて希望者に郵送する。その絵葉書には富士山をめぐる何かしらが表象されていると思われるが、受け取った人が「これは富士山である」と思われるものであるかどうかは、はたしてわからない。本件で課題としている富士山との物理的距離とイメージの関係性は、もしかしたら近づけば近づくほど、「不二の山登りてみれば何もなし」(食行身禄)と詠われたものであるかもしれない。世界遺産登録から10年、私たちはいまなお象徴であることを望まれ続けている富士山と、どのような関係を結ぶことができるだろうか?(小金沢智)
ここに一枚の写真がある。繪畫研究會印刷工藝社が発行した写真集『富士寫眞帖』(1929年7月)に収録されたもので、「(富士頂上)淺間神社奥宮」とキャプションが付せられている。縦13センチ、横19センチのハンディな本書は、撮影者は不詳であるものの、「最新撮影」と表紙に銘打たれ、富士山を遠景から捉える写真のほか、頂上からの御来光や噴火口、湧き水の金明水・銀明水をはじめとする登頂までのスポットを撮った合計16枚の写真が収めている。いずれの写真のキャプションにも、「(FUJI)FAMOUS PLACES AND FINE PROSPEKTS」と英語で書かれていることから、外国人旅行者の需要も見込んだお土産物として作られたものなのだろう。淺間神社の鳥居に日章旗が交差して掲げられていること、またその隣の木碑に「官幣大社淺間神社奥宮」と書かれていることが時勢を感じさせる。
さて、2013年6月26日、第37回ユネスコ世界遺産委員会で富士山が世界遺産に登録されてから今年で10年が経つ。「Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration」(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)と登録されているように、その価値の観点は「信仰の対象」と「芸術の源泉」の二点。近代化以降、良きにつけ悪しきにつけ日本の象徴としての役割を負わされ続けてきた富士山は、いまや一国のナショナリズムを超えて、世界の文化遺産としてその存在を国際的に認知されるに至った。
とはいえ、表象としての富士山は全面的に肯定できるものばかりではない。特に、アジア・太平洋戦争下で画家や写真家によってつくられた国体の象徴としての富士山のイメージが、国威発揚のプロパガンダとしての側面を担っていたことは否めない。
では、当時の写真家や画家たちは、富士山というモチーフとどのように向かい合っていたのだろうか? 富士山を、眺望する、仰ぎ見る、実際に登る。画家であれば、実際の富士山を見ずとも、古来描かれてきたさまざまな図像から新たなイメージを作り出すこともあったかもしれない。そうして、自然物として唯一無二の富士山は、人の手によってさまざまなメディアの図像として作り直され、さらにそれらは印刷物やデジタルメディアによって複製され、流通している。
富士山を生涯で1,500点以上描いたと言われ、近代絵画における富士山のイメージの構築に貢献した日本画家の横山大観(1868-1958)は、ついに富士山に登ることはなかった。彼は、「富士の写真家」としてその名を知られる岡田紅陽(1895-1972)の写真を参考にすることもあったという(岡田は、日本紙幣・千円札の裏面に印刷されている富士山の撮影者である)。もちろん、絵画は実際に登らなければ描くことができない、というものではない。一方で、こう想像してみたい。もし、横山大観が富士山に登っていたら。横山大観による数々の富士山が、実際の体験に基づいて描かれたとしたら。いま、私たちの富士山の絵画をめぐるイメージは、異なるものになっていただろうか?
このたび、パラレルモダンワークショップは、二手に分かれて富士山を見つめる。あるものは「登拝」と呼ばれる実際の富士山登山を通し、あるものは「遥拝」と呼ばれる遠方から富士山を見つめる(拝む)行為を通して、自身と富士山との距離をはかる。そして、その体験をもとに同一フォーマットの絵葉書を制作し、(明治時代に開始された)郵便制度を用いて希望者に郵送する。その絵葉書には富士山をめぐる何かしらが表象されていると思われるが、受け取った人が「これは富士山である」と思われるものであるかどうかは、はたしてわからない。本件で課題としている富士山との物理的距離とイメージの関係性は、もしかしたら近づけば近づくほど、「不二の山登りてみれば何もなし」(食行身禄)と詠われたものであるかもしれない。世界遺産登録から10年、私たちはいまなお象徴であることを望まれ続けている富士山と、どのような関係を結ぶことができるだろうか?(小金沢智)
ルール
1.「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」では、参加者は「登拝篇」「遥拝篇」のどちらかを選択する。
2. 「登拝篇」を選択した場合、富士山登山をすること。ルートは問わない。
3. 「遥拝篇」を選択した場合、富士山を遠方から見つめること。場所は問わない。
4.ここでの「富士山」とは、静岡県(富士宮市、富士市、裾野市、御殿場市、駿東郡小山町)、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)にまたがる富士山を指す。「異称富士」(参考:監修・著 小原真史『富士幻景 近代日本と富士の病』IZU PHOTO MUSEUM、2011年)と呼ばれる、日本各地で見つけられる、ある山の別称としての「富士」はここに含めない。
5. 「登拝篇」「遥拝篇」いずれの場合も、行動・実践の時期は、2023年の富士山シーズンとして予定されている2023年7月1日から9月10日までを範囲とする。
6.参加者はその成果として、絵葉書(100mm×148mm)制作のためのデータを提出すること。データ提出時期、絵葉書の制作スケジュール、制作費、郵送方法は、決定した参加者間で検討するものとする。
7.参加者の行動・実践は、参加者本人ないし第三者による映像、写真、テキスト等による記録を行うこと。方法は任意とする。
8.参加者は、上記コンセプト及びルールを承知した上で参加する。
1.「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」では、参加者は「登拝篇」「遥拝篇」のどちらかを選択する。
2. 「登拝篇」を選択した場合、富士山登山をすること。ルートは問わない。
3. 「遥拝篇」を選択した場合、富士山を遠方から見つめること。場所は問わない。
4.ここでの「富士山」とは、静岡県(富士宮市、富士市、裾野市、御殿場市、駿東郡小山町)、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)にまたがる富士山を指す。「異称富士」(参考:監修・著 小原真史『富士幻景 近代日本と富士の病』IZU PHOTO MUSEUM、2011年)と呼ばれる、日本各地で見つけられる、ある山の別称としての「富士」はここに含めない。
5. 「登拝篇」「遥拝篇」いずれの場合も、行動・実践の時期は、2023年の富士山シーズンとして予定されている2023年7月1日から9月10日までを範囲とする。
6.参加者はその成果として、絵葉書(100mm×148mm)制作のためのデータを提出すること。データ提出時期、絵葉書の制作スケジュール、制作費、郵送方法は、決定した参加者間で検討するものとする。
7.参加者の行動・実践は、参加者本人ないし第三者による映像、写真、テキスト等による記録を行うこと。方法は任意とする。
8.参加者は、上記コンセプト及びルールを承知した上で参加する。
発行物
パラレルモダンワークショップによる本活動の成果として、参加者による絵葉書を発行、希望者に頒布(有料)予定です。発行時期、頒布方法等詳細が決まり次第、こちらで随時お知らせいたします。
グラフィックデザイナー:丸山晶崇(株式会社と)
パラレルモダンワークショップによる本活動の成果として、参加者による絵葉書を発行、希望者に頒布(有料)予定です。発行時期、頒布方法等詳細が決まり次第、こちらで随時お知らせいたします。
グラフィックデザイナー:丸山晶崇(株式会社と)
アーカイブ
・「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」記録映像完全版
・「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」記録映像完全版
[編集]岡安賢一(合同会社岡安映像デザイン)
[撮影]青木遼、金子朋樹、小金沢智、杉本克哉、春原直人、多田さやか、⻑沢明、中村ケンゴ、西澤諭志、林勇気、ベリーマキコ、丸山晶崇、三瀬夏之介、山本雄教、吉江淳
[zoom収録]2023年9月19日
[zoom参加者]青木遼、金子朋樹、菊地匠、小金沢智、杉本克哉、中村ケンゴ、西澤諭志、林勇気、丸山晶崇、三瀬夏之介、山本雄教、吉江淳
[時間]99分
[製作]パラレルモダンワークショップ
[製作年]2023年
[撮影]青木遼、金子朋樹、小金沢智、杉本克哉、春原直人、多田さやか、⻑沢明、中村ケンゴ、西澤諭志、林勇気、ベリーマキコ、丸山晶崇、三瀬夏之介、山本雄教、吉江淳
[zoom収録]2023年9月19日
[zoom参加者]青木遼、金子朋樹、菊地匠、小金沢智、杉本克哉、中村ケンゴ、西澤諭志、林勇気、丸山晶崇、三瀬夏之介、山本雄教、吉江淳
[時間]99分
[製作]パラレルモダンワークショップ
[製作年]2023年